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たまに 

 専門学校で教えている講師っぽい事も言ってみたり。
(執筆合間の気晴らしの意味もあるので、あまり推敲してません。後で誤字脱字とかは修正するかも。つか講師が断片とはいえタダでネットに教える内容を公開するのはまずい、という事もあるかもしれんので、クレームなどつけば後で削除しまする。まあ、その、なんだ、思いつきです。思いつき)

 つか、GAの編集長がブログで書いている事が割と良い事というか、「出来ない人はなぜか徹底的に出来ないけど、多分、これがプロとアマの境目」って話。

http://ga.sbcr.jp/bunko_blog/

 四日の編集長の記事ね。

 補足的にここで具体例をちょっと書いてみる。


 文例1
 
 その時、フォロンは壁際に一人の少女が立っているのに気付いた。黒いドレスを着ている。髪は長くて赤く、緩やかに波打っている。凄く可愛い少女だ。誰だろうと思ったがどうしてもフォロンはその少女が誰なのか思い出せなかった。彼女の事を知っている様な気がしたけれど、分からない。
「僕はきっと君の事を知っているんだよね」
「そうだな」
「でも忘れてしまったんだ。ごめんなさい」
「…………謝るな」
 少女は顔をしかめて首を振った。
「謝られては、尚更哀しい」
「ごめん。あ――」
「そういう処が変わらないだけに、余計、な」
 少女は下を向いてぽつりと言った。


 ――さて。
 上の文例一は努めてK村編集長の言うところの「演出意図」を組み込まない様に書いてみたもの。
 ぶっちゃけ、ラノベ作家の大抵は日常的に「演出意図」の込められた文章扱っているので、むしろ込めない文章を書く方が難しいというか。
 魚に「泳ぐな」と言ってるよーなもんですね。

 で――これをたとえば、劇的な印象の文章に変えてみたとする。

 文例2

 その時フォロンは気付いた。
 壁際に一人の少女が立っている。鮮やかな赤さを秘めた髪の綺麗な女の子だ。緩やかに波打つそれは、彼女の姿をまるで静かな炎が包んでいるかの様に、際立って見せていた。

 ――誰だろう?
 
 自分は彼女の事を知っている様な気がする。いや。間違いなく知っているのだ。多分心の奥底、無くしてしまった記憶よりも更に深い部分が覚えている。なのにどうしてもそれが思い出せない。身もだえしそうな程にそれはもどかしい感覚だった。まるで大事な大事な宝物にほんの少し、小指の先ほどの差で手が届かないかの様に。
「僕はきっと君の事を知っているんだよね」
「……そうだな」
 少女は頷く。
 小さく。静かに。
 黒いドレスを着たその姿は――まだ幼ささえ引きずる姿であるのに、何処か、未亡人を想わせた。
 大事な大事な伴侶を喪ってしまった孤独な女性の姿を。
「でも忘れてしまったんだ。ごめんなさい」
 フォロンはそう言うしかなかった。
 だが――
「…………謝るな」
 少女は顔をしかめて首を振った。
「謝られては、尚更…………哀しい」
「ごめん。あ――」
「そういう処が変わらないだけに、余計、な」
 少女は俯き、呟く様にぽつりと言った。


 ――で。
 基本的に書かれている情報はほぼ同じ。
 ところが、改行、台詞の前にいれる「……」や「――」、同じ動作や事実をやや別の、情緒的な言葉に置き換えるだけで普通に雰囲気が変わる。更にそれを補足する為の描写をいれるとなお、雰囲気が変わる。

 ここでやろうとしているのは、大事な少女の事を忘れてしまった少年と、忘れられてしまった少女との、ちょっと哀しい雰囲気の場面である訳だが、「ああ、このじれったくも哀しい雰囲気を読者に味わって貰いたい!」という「演出意図」の元に、色々調整している訳だ。


 でまあ、この演出意図っつーのは、別に文章レベルだけの話ではなく、設定とか、物語構成とかにも当てはまる基本的な考え方で。
 メインキャラの一人を物語り佳境で死なせる予定なら、読者には思いっきり泣いて貰える様に、その死亡要諦のメインキャラに感情移入してもらう。
 で、悲しさに限らず何かの強い感情を演出する為には「落差」というのがとても機能的だ。
 例えば、単に死ぬ、よりも、明日には幸せが待っていると分かっているのに、いきなりそれに届かず死んでしまう方がより、哀しい。

「この戦争が終わったら、俺、郷里に帰って幼馴染みと結婚するんだ」

 この典型的な死亡フラグは、つまり、そう言われるほどに何度も使われた――つまりは、それ程に効果的で分かり易い「哀しみを盛り上げる手法」な訳ね。
 つまりこの「哀しみを盛り上げる」という「演出意図」さえはっきり書き手が持っていれば、こういうパーツを組み合わせて、哀しいシーンを造り上げる事が出来る。
 更に、上記の悲しさを盛り上げる為に、「郷里の幼馴染み」を単なる記号ではなく、実際に生きている人間として何らかのシーンを描くと、より生々しい悲しさになる。

 例えば幼馴染みとの幼い日のエピソードをその死亡予定キャラが語るとか。
 例えば幼馴染みが毎週送ってくる手紙が死亡予定キャラの机の上に置かれているとか。

 本当にそんな幼馴染みが存在すれば、生じたであろう小さなエピソードを一つでも混ぜ込んでおけば、悲しさはより倍増する。更に先の「落差」の理屈で言えば、その幼馴染みもまた苦労して苦労して、ようやくその死亡予定キャラと結ばれるのだ、みたいな事情が何らかのエピソードで語られれば、より哀しみは重い。

 まあ具体的にはこういう事です。
 こういう思考で、一行一句、ワンシーン、そういったものを積み上げていく。
 そうすると最終的な印象操作として有機的に繋がって効果を発揮する訳ですな。


 

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